人にやさしい医療の経済学 森宏一郎 2013

第二次大戦後、経済的な高度成長期における日本では人口も増加し、その事がさらに経済の活性化にも寄与していたところがあると思います。団塊世代の子供達が社会に出たバブル期はその象徴でしょう。しかし飽和状態となった人口は現在減少の一途をたどっていきます。2005年から人口減少が始まりました。経済的豊かさは少子化の傾向を生み(過去の欧米さらに少し前の中国など他国でもみられる現象です)、団塊世代が高齢社会を作っています。現在の日本は経済的にも衰退期に入っています。”投資家”による誘導された株価はもはや日本経済の実情を表現することがなくなりました。バブルが崩壊してから潜在的に進んでいたこの傾向は、この数年で顕在化しているように私には思えます。最近の株高トレンドは多くの生活者の感覚からかけ離れています。社会が複雑化しているので、単純に市場原理主義のみに基づく検討では将来予測を誤るような気がします。
さて、本書ではまず公共財について述べています。 公共財とは、経済学において、次の2つの性質を有するものと考えられています。非排除性(non-exclusion or non-excludability)と非競合性(non-rivalry)です。公共財以外は私財です。なお、経済学とは資源配分を考える学問です。そこには人の命という”生命倫理”の考え方はありません。そのため、医療政策決定においては、国民の望みをおもんばかりながら経済と倫理の釣り合いをとるための選択をする必要があります。 また、本書では、国の医療の位置づけを”患者”個人向け公的サービスでは無く”国民”にとってのインフラと考えます。政策を立案する上でとても重要な視点だと思います。個人サービスなら自由な市場経済で競争すれば良い。でも誰しも生きている限り医療を必要とする可能性があります。その時に誰も何も得られないということが無いようにする、義務教育と同じような国が備えるべきインフラと考える方が自然です。

医療の特徴としては、市場原理とは異なり、個人毎の必要量(手技や薬の種類、期間)を予測できないという点が挙げられます。私たち1人1人が各自のことを振り返ってみても、誰が将来的に必要な医療を予測できるでしょうか。その代わりとして、全体像を捉える努力をします。ただ、それも簡単なことではないのです。

そして、経営学的には医療を「現在、直接的に使用されていない未使用資源(余剰資源)」すなわちslack資源として捉えることを本書は提言しています。この場合、余剰資源は”効率的”に使用するものでは無く”効果的”に使用されるものと解釈した方がよい、ということです。よく医療系団体が、医療は効率化するものではない、余裕を持たせておく必要がある、と主張することには、こうした経営者としての感覚があるのだろうと思います。